「…クソ、ガキ…がぁ……!」
熱い。
腕?
足?
腹?
区別などつかない。
どこの部位がという認識が許されないほど、全身が燃えるように熱い。
燃えるように?
燃えているのではないのか。
焼け爛れる感触。
鼻をつく火薬の臭い。
痛いという感覚が遠のき、熱さの中に底冷えが生まれ出た。
身体の芯から、震える。
「はっ………剣、帝の…名声、も…ここ、まで、だなぁ……!!」
乱れた息遣いが頭上に足音を降らせる。
ゆるりと瞼を開けば、銀色の双眸が真上から降り注がれているのに気づいた。
灼熱の幻想から呼び起こされる現実。
硬い地面の感触が背を、足を、腕を縫いとめて離れない。
一際大きく鼓膜を揺らした鼓動は普段に比べ、格段にスピードを増していた。
血流が激しい。出血の酷さは指先をぬめる暖かさで十分感じ取れるほどだ。
あの瞬間。
俺の刃がクソガキ――スクアーロの首筋を直撃すると踏んだ瞬間、無数の熱の塊が刃を弾き返していた。
弾丸に似たそれが危険だということは判断するに容易い。
しかし、咄嗟に身を引こうにも、前へ進み出た力を後ろに切り替えるにはあまりにも時間が足りなくて。
弾かれた刃を引き寄せ、なんとか頭部を庇うには至ったが、いかんせん間近からの直撃だ。
ダメージが、大きすぎる。
「仕込み火薬、か。……んな仕掛け、聞いてないが」
「当たり前だぁ!知られてりゃ切り札になんねえだろうがぁ!」
げほっとひとつ咳払いをし、口元を袖で拭うスクアーロの顔には薄っすらと汗が這っている。
加えて、火薬が仕込まれていた刃は所々傷が入り、ひしゃげている部分も目に映った。
「最後の、最後、の、切り札か。そういうもんは…きちんと試して、何度でも使えるようにしてこそ、『切り札』って、呼べるように、なるんだぜ、ガキ」
肺がいうことを聞かなくなり始めた。
息を吸う毎、吐く毎にキリキリと痛みが走る。
「一度に、そんな、大量の弾、発射しなくたって、いいだろ…。もっと、的確に。獲物を仕留めるのに、必要な、数、だけに、減らし、て」
「そんなこと、わかってる」
「剣にも、問題ありだな。わざわざ、柄に触れて、操作、なんて方法じゃあ、相手にも、気づかれやすい、上に、一回しか使えないじゃ、ねえか」
「それもわかってる!余計なこと言ってんじゃねえ!」
「余計かよ…」
喉の奥底から、むせかえるような熱気が這い上がる。
堪えることも出来ず、ゴボリと吐き出されたのは……血の塊だ。
敗北、か?
いや……俺はまだ、こいつに殺されてはいない。
「おい、クソガキ」
「てめぇ…誰がガキだぁ!」
「そうやって、すぐに、ムキになる、ところが、ガキだろう、が…」
まだまだだ。
この少年は、まだ完全に、己の剣の道を究めたわけではない。
油断が明暗を分けたのか。
己よりも荒削りの、光ある才能とはいえ、全力で殺りあっていれば負けることなどなかったはず。
暗く冷たい闇の中でも、チラチラと見え隠れする銀色。
霞む視界に目を凝らし、意識を奮い立たせる。
死が怖いのか、と問われれば、そうではないと答えるだろう。
いつか必ず死ぬのが生きとし生けるものの定め。
身を置く世界が世界だから、死はことさら身近で、親しみがある。
恐怖はない。
今、俺を踏ん張らせるのは……ただひとつ残される杞憂。
「お前は、剣帝には、なれん」
「………」
させるわけにはいかない。
「金も、地位も、権力も、お前は約束されるだろう。だが、剣帝だけは、お前には、やれない」
ぶるぶると震える腕をなんとか突っ張り、息の途切れる身をゆっくりと起こしていく。
刃を向けることはもう出来ないと踏んでいるのだろう。
スクアーロは半歩後ろに下がりながらも、俺の喉元に差し向けた剣を押すことも引くこともしなかった。
「お前に、ボンゴレの業を、背負うだけの、覚悟が出来る、までは…」
「ボンゴレの業…?」
静かに問い返す声からは微かな殺気と大いなる懸念が感じられて、俺は思わず噴き上がる笑いを噛み殺した。
…俺は間違いなく、ここで死ぬ。
こいつの目的は俺に対する勝利だけではないからだ。
『殺す』ということを目的として挑み、挑まれ、こうして地に膝も肩も付けてしまった以上、俺に未来はない。
ならば。
「お前が、それを、知る必要も、瞬間も、ないと……願いたいが、な」
大事なものを託さねばならない悔しさを、こいつは知っているだろうか。
ああ、今なら。
今なら家光や奈々さんの気持ちが……あの時の彼らの遺恨が理解できるような気がする。
「おいで、綱吉」
時間がない。
俺に残された時間は…あとどれくらいだろうか。
ゴボリ、ゴボリとむせ返るような酷い血の臭い。
こんなところにあの子を呼びたくはなかったのだけれど。
時間が、ないのだ。
眩い光が流星の如く天を裂く。
屋根をぶち破り、柱を吹き飛ばし、降り落ちる光に己の身が包まれる。
ごめんな綱吉。
俺はもうお前を守れない。
「お、まえ……!」
「…わかってんだろ。俺に、もう、余力はない」
畜生め。
こっちは立ち上がるのも必死なんだ。
相対したスクアーロは、よろりと立ち上がった俺が仕掛けてくるのではないかと思っているのだろう。
さっと増大した殺気が身体に痛い。
こちとら一陣の風にでも吹かれてしまえば倒れそうな身なんだぞ。
クソガキが。
「お前に、たったひとつだけ、頼みがある」
ごめん。
ごめんな綱吉。
ずいぶんと予定が狂ってしまった。
成長を、見守ってやるつもりだった。
きっと奈々さんに似て明るく美しく、家光に似て豪気で逞しく、育つ姿を見ていたかった。
笑うお前に手を差し伸べて。
泣くお前を抱き上げて。
闇の世界を生きる俺をも、眩く照らす光となることを、確信していたのに。
思ってたよりも随分早く、この手を離さねばならないらしい。
「彼は、閃姫真刀綱吉。お前は、これを、受け継がなければならない」
右手に柄を。
左てに鞘を。
漆黒に塗られた真黒の鞘は今しがた磨きあげられたかのように艶めいている。
彼がぶち抜いた天井から注ぐ微かな日の光によって、美しさを際立たせながら。
柄巻は血よりも暗く陽よりも深い紫と夜を溶かし込んだような重き紺の蛇腹糸葵結菱目組上巻。
鍔には網目のような細かい文様の上に配された梅が、金色の花を咲かせている。
カシャン、とわざと音を鳴らして手首を回せば、現状が掴みきれていないのか、スクアーロは身じろぐように息を飲んだ。
「なんなんだ…その、刀…」
どこから出した。
搾り出したような声音に焦燥と拭い去れない興味が見え隠れしている。
「出したわけじゃない。呼んだんだ」
目を細めて眼光を引き絞ってやれば、負けじと眉間に皺を寄せる様がおかしい。
「これがあれば、お前が俺を殺したのだと誰もが認めることになる」
受け取るがいい。
これが、俺からの、呪詛と言祝ぎ。
「こいつは、こいつが望めば何でも斬ることが出来、望まなければ豆腐すらまともに切れない…至高にして最高の刀」
「…望めば?」
「そう。この刀には意思がある。人格がある。そして…身体と命がある」
未来も、希望も、絶望も。
何もかもを持っていながら、何も手に出来ない宿命を背負って。
「何、言ってやがるんだぁ…!」
「なぜなら、彼は『刀』ではないからだ」
カシャン、と。
催促するように再び手首を回転させる。
来い。
俺にはもう、時間がない。
「だがこれ以上はお前が知る必要はない。俺を殺して、彼を奪え」
守るものが必要だ。
抱くものが必要だ。
そうでなければ彼の自我が崩壊しかねない事態となる。
暴走は許せない。
出来れば、俺の手で、この子の意思を、ずっと繋いでいたかった。
「俺を殺せ、臆病者」
迸る血の温かさと、鮮烈に煌く白刃によって、血の仮契約を引き継ごう。
お前に背負いきれるか、ボンゴレの業を。
お前に救えるか?愛しき我が幼子を。
多くを望みはしない。
だが……たったひとつ。
たった一度。
たった今だけ願えるならば。
綱吉……どうかお前が……抗いきれぬ呪詛の鎖から、生きて解き放たれんことを。
「ごめんな綱吉。遊びに連れてくって、約束、したのにな…」
お前と交わした最後の約束は、どうやら守れそうにない。
肩から腰にかけて走り抜けた熱に翻弄されながら、俺は。
力強く引き剥がされた刀身の感触に、満足して目を閉じた。
「なんだって……いうんだよ……!」
わけのわからない憤りに身の内が焼け爛れているような感触が這い回っている。
気に入らない。
奴が望むままに一刀のもとで切り伏せれば、満足そうに笑む死骸がひとつ完成していた。
苦痛に歪む表情も。
悔しさに悶える表情も。
憤怒に苛まれる表情もなく、己のなすべきことをまっとうしたかのように、笑む骸。
……その事実が、俺を掻き立てる。
怒りなのか、悲しみなのか、苦しみなのか、自分でもわからない感情を。
「……くそ!」
『剣帝テュールの抹殺』という俺に課せられた使命はまっとうしたはずなのに、釈然としない現状。
苛立ちに任せて地面を蹴れば、靴先に当たった小石が大きく跳ねた。
気に入らない。
…とはいえ、殺した相手を前に、これ以上望めることなど何もない。
「う゛お゛ぉい!いるんだろぉチェルベッロ!」
ともかく、とっととジャッジを通して俺を認めさせねばなるまい。
これで大手を振ってボンゴレの暗部、ヴァリアーへと入り込むことが出来るのだから。
そこで俺は……上っ面だけ、トップを目指す。
当面の目標はそれだけだ。
「スクアーロ様」
「チッ……見てたんだろぉ!俺の勝ちだぁ!」
「はい。では剣帝テュールとの決闘という、貴方様からもちかけられた条件を満たしましたのでヴァリアーへの入隊を承諾いただけるのですね?」
「…ああ」
承知いたしました、と折り目正しく頭を下げる女は気持ちいいほどにテュールの死に関心がないようだ。
仲間では、ないのか。
剣帝を殺したというのに……畏怖も猜疑も向けられない。
「剣帝のご遺体は私どもで回収しても?」
「勝手にしろ」
「では上層部へは連絡させていただきますので、スクアーロ様は本邸の方へ」
気味の悪い。
ついでに気分も悪い。
いや、いっそ清々しいと言った方がらしいだろうか。
どうぞ、と示す女から視線を外しながら、払拭しきれぬ苛立ちを乗せて小さく舌を打ち、俺は廃墟を後にした。
待ち受けていた車を避けるように、森へと足を伸ばす。
送迎とはごくろうなことだ。
少しは剣帝の死を悼んでみやがれ。
フン、と鼻を鳴らしながらツカツカと森を突っ切っていった。
そう遠くはないところ――森を抜けた先に宿が用意されている。
すぐにでも本邸へ向かいたいところだが……血塗れのまま戸を叩くほど無粋ではない。
クソガキ、と呼びやがった奴の声が鼓膜にこびりついている。
俺はそこまで、ガキじゃねえ!
「……くそ……それに、この刀…」
ふと、左手がやけに汗ばんでいることに気付く。
異様なほど力を込めて握っていたものだから、しっとりと湿り気を帯びているのだ。
ズシ、と強かな重みを宿す刀身。
刀を使う機会は滅多にないが、それでもこの刀が素晴らしい美しさと力強さを秘めていることくらいはわかる。
サワ、と頬を風が掠めた拍子に、俺はふと立ち止まった。
ささやかな興味が、俺に柄を握らせる。
使う機会はなくとも、使ったことがないわけではない。
ぐっと握り締めれば、食いしばるように巻かれた柄巻が掌へと吸い付くように馴染んだ。
思わずヒュっと息を飲む。
艶めく鞘を脇に挟み込み、支え、慎重に抜き放つ。
シュルリ、と軽やかかつ涼やかな摩擦音が脳髄を震わせた。
「……すげぇ…」
陽の光を反射しているだけのはずなのに、まるで刀身自体が淡い光を発しているかのようにほのかに浮き上がる鋼の輝き。
一振り。
二振り。
空を切って宙を裂いて。
軽やかに振るわれる白刃はなお白く。
「……まるで…生きているような………」
『彼は刀ではないからだ』
ふと、テュールの低い声音が意識を駆け抜ける。
「刀では、ない?」
その意思でもって、切れ味を決めてしまうという刀。
そんなもの…。
「そんなもの、あってたまるか…!」
脳裏に蘇る奴の笑みに苛立ちを募らせ、俺は思わず傍近くに生えていた背の高い雑草へと刀身を閃かせた。
「っ!」
なんてことはない、雑草だ。
どこにでも生えているような、ただの草だ。
だが…。
「…斬れ、ない?」
刈り取るように、根こそぎ奪うようになぎ払ったはずなのに。
緩やかに倒れた草は身をしならせて元あった空間へと戻っていく。
「どういう……」
わけのわからない現実を前に、俺はそっと刀身を眼前へと傾ける。
はばきに程近い表面に、なにやら字が掘り込まれている。
それは、呪詛にも程近き伝承の名。
「閃姫真刀…綱吉…」
唇が勝手に、何者かの意思にのっとられたかのように動き、言葉が紡がれた瞬間だった。
眩い光が俺を包み、掌の中の感触が解けていく。
するりとすり抜け、零れ落ちるようになくなる、刀の感触。
熱い。
喉が焼ききられるのではないかという錯覚を抱く熱の中、俺は光から顔を背けることしかできない。
思考が加速するような、考えすぎて何も考えられないような感覚が俺に一切の動きという動きを許さないまま。
一瞬とも永遠とも知れぬ、刹那を越えて。
熱と光の塊が、弾けた。
「……仮契約の譲渡を、許諾いたします」
ふわりと広がる茶髪。
琥珀を埋め込んだような、オレンジの瞳。
紅葉のような小さな手。
眼前に立つのは、幼い幼い、少年の姿。
だが。
目の前に現れた少年の唇から、機械的な言葉が紡がれたということよりも、俺は。
全てを拒絶するかのようなうつろな瞳から、一筋の涙が零れ落ちたことに、意識をさらわれてしまっていた。
長い…。
色々わけのわからないことを書いておりますが、おいおい回収して……いけるといいなと思います。